秋津温泉 (1978年) (集英社文庫)

秋津温泉 (1978年) (集英社文庫)の詳細

反復の美がある。「気配」この言葉がリフレインのように使われ、頭に残る。秋津の気配、夜の気配、清浄な気配。様々な様子を藤原審爾はこの「気配」という言葉の多様で伝えてくる。架空の秋津温泉（岡山県奥津温泉がモデルという説）へ、１７歳で初めて「登った」第一章から、歳を重ねながら主人公は何度も秋津へ行く。章ごとに主人公の年齢や社会的な立場は変化していくが、秋津温泉だけは変わらない静謐さを保っている。その対比に心を奪われる。第一章から三章まではまさに「清浄な文学」なのだが、四章以降はやや通俗小説の趣が出てくる。最終章はついに官能場面が登場するのだが、前半の清浄な気配はずっと生きていて、官能場面が崇高な儀式であるような位置にまで高められている。１９４７年の作品なので、文体や物語の展開速度は現代小説とは異なるが、戦前のアッパーミドル以上の階級に属した人々のやや頽廃した生活が見事に描かれている。その背景に「秋津の気配」があるので、頽廃が浮き彫りになっている。作者の藤原審爾は、後に警察小説など多くの娯楽作品も手掛け、どんどん変貌するのだが、このデビュー作においても、章が進むごとに変化している。「作家は処女作に向かって成熟する」といわれるが、まさにその通りである。